元夫(以下、X)のモラハラを認識してから、私が離婚を決意するまで10ヶ月かかりました。
私がXに反抗して髪の毛を切ってから、モラハラはエスカレートしていきました。
・家事をしない(分担していたこともなかったことに) ・生活費を渡さない ・ゴミを捨てない、指摘するとキレる ※開いてもいない新聞が3年分、雑誌や服が散乱、小学校のリコーダー(きょうだいの分まで!)、習字道具まで捨てられないレベル。ゴミに部屋が占拠されているため、代わりにやると言っても断り、キレ続ける・・ ・私の車を修理せず売りに出し、軽自動車に買い替えさせる(残ったお金を何に使ったのかは不明) ・私の仕事がうまくっていることを認めず、馬鹿にする ・私の母を否定し「あの親に育てられたから、君も不安定で仕方がない」という ・親、きょうだい、友人など私にとって大切な人の悪口を言う ・共通の知人に「うちの妻があなたのこと○○だと言っていましたよ」など悪口を伝達する (周りから「奥さんの方が優秀だよね」「奥さんを雇えば良かった」等冗談交じりで言われたらしく、私を貶めるようになっていった。「なぜこんなことをするの?」と抗議しても、キレて終わりのため、話にならない) ・家でも常に仕事をして、私と子どもを無視する ・子どもが泣くとキレる(「俺はこんなに手がかかる子ではなかった、君の遺伝」と謎の責任押し付け) ・子どもが体調を崩すとキレる(もっと早く気付けなかったのか?等、責める) ・おせち料理を捨てる(「ももちゃんの休みと、俺の休みでは価値が違う。子どもの病気のせいで帰省できなかったのは、ももちゃんの判断ミス。だから、俺は正月らしいことを一切しない」とブチ切れた結果、手作りおせちは一口も手をつけられないまま捨てられた) ・自損事故を起こすも謝ることもなく、迎えに来るよう要求。廃車寸前の状態の車にもかかわらず修理に出す(私の車は、豪雪被害が原因で部品が取れても修理せず売り払ったのに)
ザザッと思い出すだけでもこれだけのことがあったのに「なぜすぐ離婚しなかった?」と自分でも思ってしまいます。だからモラハラ被害にあった人に「なぜ気づかなかった?」、そう言いたくなる気持ちもわかります。
しかし、渦中にいると、目の前のショッキングな出来事から立ち直るだけで精一杯。しんどい現実に直面することも、先を考えることも、できないんですよね。
この頃の私は、まだ0歳の息子の喘息治療に必死でした。生後3ヶ月で喘息の診断を受け、小児科が第二の家かのように入り浸っていました。手足口病、胃腸炎、ノロウイルス、何をもらってきても必ず喘息も出てしまうので、治療が長引き、何度も入院一歩手前の状態になりました。
喘息の咳の勢いで嘔吐することもあるため、息子が寝ていても離れることはできません。
上の子はまだ3歳になったばかり。まだまだ甘えたいのに、弟にママをとられてばかりで、わがままを言うのは当然のこと。
点滴する息子の横で、3歳の娘を連れている私をみて、小児科の看護師には「旦那さんに上の子をみてもらえないの?」と何度も心配されました。
「お母さんが倒れたら元も子もない。あなたも点滴して帰って」と私まで点滴されたこともありました。この時ばかりは「どうして我が子も私もこんなに苦しんでいるのに、時間を作ってくれないんでしょう?」と看護師さんの前で泣きました。「ここまで喘息がひどい子が、入院せずに済んでいるのはすごいこと。お母さんが頑張ってるの、私はわかってるから!」と励ましてくれました。
このような日常の中で、一番頼りにしたい人に頼れない、むしろ邪魔をされないよう極力避けるしか方法はない・・というのは、非常に苦しいことでした。もうこの人はダメだ、と心のどこかではわかっているけど、やり過ごしていくしかなかったのです。決断するエネルギーがありませんでした。
「せめて正月ぐらいは楽しく」と必死で作ったおせち料理を捨てられても、自損事故を起こしたくせに謝りもしなくても、その時の私にできることは暗い気持ちを切り替えて、子ども達の前で笑うこと、子ども達にこれ以上辛い思いをさせないこと、それだけでした。
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そんなある日、息子と娘が胃腸炎になり、高熱を出しました。
数日看病して子ども達が回復した頃、今度は私が高熱を出しました。
この時ばかりは、Xを頼らざるを得ませんでした。
「2時間でいいから、寝かせて」と子ども達を託して、私は2階の寝室に上がりました。
すると、10分足らずでXの怒鳴り声と子ども達の泣き声が聞こえてきました。
フラフラになりながら1階に行くと、Xは3歳の娘に「とってこい!!!!」とドスの効いた声で怒鳴っていました。
病み上がりのためか娘がパンを食べたがらず、Xが何度も食べるよう言ったら、娘が「いやだ!」とパンを投げたそう。そのパンを自分で拾うよう怒鳴っていたのです。
私は泣き喚く子ども達を抱きしめました。
それを見てXは「甘えやかすなよ」とまたキレ出しました。
熱で朦朧となりながら、私はXに言い返しました。
「いつもはこんなことしない。病み上がりで食欲もなくて、その上母親も寝込んでいるんだから、多少わがまま言うでしょう。あなたがそんなにキレて、パンを拾わせることにこだわるのは、普段の姿を知らないから。いつもの子ども達を見てないからだよ!」
私が言い終わるや否や、Xは子どもを私から引き離し、私の両肩を掴んでゆすり始めました。
なんと言っていたか聞き取れませんでしたが、私の肩を揺すりながら、物凄い声で怒鳴ってきたのです。その時のXの眼を、きっと一生忘れることはないでしょう。このまま殴られる、と思いました。
私は咄嗟に、手元にあった携帯をとり、録音を始めました。
それに気づいたのか、Xはパッと私から離れました。
泣き喚く子ども達を抱え上げ、私は2階の寝室に行きました。
子ども達を抱きしめながら、私はおいおい泣きました。怖かったね、ごめんね。そんなことを言ったように記憶しています。
すると、神妙な面持ちのXがやってきました。「もう2度とあんなことしない。俺はどうかしてる。許して・・・」と。私たち3人を抱きしめて、一緒においおい泣き始めました。
この時、私の涙は引っ込みました。この瞬間、「わかっちゃいるけど行動できない」から「なんとしても離婚する」にスイッチが切り替わりました。
Xはドラマチックな雰囲気に酔っているようにすら見えたのです。これで絆が深まるとでも思っているのか?その間抜け面(!)をみて、一気に悲しみから怒りに転じました。
これはDVの典型的な兆候。爆発後のハネムーン期。暴力を振るっておきながら、泣いて謝り、許しを乞う。これは許しても悪化していくだけ。
そして、今この状況は、立派な面前DV。またこの状況を許すことは、私も子ども達への虐待に加担することになる。
私は、Xを自分たちから引き離し、声を絞り出して言いました。
「もう終わり。アウトだよ」と。Xは驚いていました。
「お願いだから、寝かせてください」とその場を離れてもらいました。子ども達にはパソコンで動画を見せて、私は寝ました。
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今思えば、この時に警察に通報しておけば楽だったかもしれない、とも思ってしまいますが、39度の高熱が出ていたので、まぁこれが精一杯でしょうね。
この日を境に、私は一気に離婚に向けて動き出したのでした。
私が「わかっちゃいるけど、行動できない」期間は10ヶ月でした。
同じような境遇、もしくはもっともっと過酷な状況で、何年も耐えている方もいるでしょう。
離婚が全てではないのは当然のこと。夫婦の数だけ、夫婦の形があるでしょう。
でも、もしこの記事を読んで揺さぶられる方がいたら、その気持ちをもう一歩、深掘りしてみてはいかがでしょうか?
どのような選択をとるにしろ、あなたが自分の人生の主導権を、自分で持って、後悔のない人生を送られることを祈っています。今のパートナーと仕切り直せるのなら、それが何よりです。
もし、それが無理でも、大丈夫。私がどん底をさらけ出すことで、誰かの一歩に繋がったら嬉しいです。
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