私が離婚を切り出したのは、元夫(以下、X)も自覚する程度の決定的な事件が起きたため、スムーズにできました。その場で「もう、終わり。アウトだよ」と突きつけてあったので、心の準備はできていたようです。
決定な事件が起こる前に、私は友人の弁護士に甘えて、離婚について相談していました。
そこで「離婚するのに半年以上かかると思っていた方がいい。離婚を成立させることが、一番ハードルが高い」とアドバイスを受けました。半年も耐える自信がない・・と絶望しました。
そこで、私はXにとって何が大事かを考え尽くし「Yes」を引き出すための策を考えました。
Xにとって大事なのは「仕事」と「お金」です。離婚したことが原因で、周囲から信頼されなくなることを何よりも恐れていることは、容易に想像がつきました。(誇りある仕事をしていた、というよりは、仕事をすることで自尊心の穴埋めをしていたので)
生活費は私をあてにしているぐらいでしたし、お金は諦めようと早々に決めていました。
まず、「もう話し合えない相手」と思うところから始めました。感情をぶつけたり、過去の出来事を引き合いに出して「なぜ?」と問うことはしませんでした。至極冷静に、落ち着いたトーンで終始話しました。
そこで、私は「もう無理だって、Xも思ってるよね?」と確認をとった後、「私たちなりに、新しい家族の形を追求していこう」と伝えました。
「養育費はきちんともらいたいけど、慰謝料の請求は一切しない。もう私たちは一緒に暮らせないけど、共同親権のような形で子ども達が行き来したらいいと思う。アメリカでは一般的だよ。子ども達から父親を奪うようなことはしたくないし、私は子ども達にあなたの悪口は言うつもりはないから。」
これは、半分は本心で、半分は「Yes」と言わせるためのリップサービスでした。
ミーハーなXは「先進的なこと」が大好きでしたし、「周囲にかっこいい言い訳ができる」状況を作れば、乗ってくると予想していました。
予想通り「俺たちは、これからも会えるってことだよね?離婚しても4人で出かけたりもしようよ」と乗ってきました。「うん、そうだねー」と心にもないことを言いながら、私はとにかく話を進めました。
引越先が決まるまでは、そのまま一緒に暮らして、子ども達にも二人で話そうと決めました。
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そんな流れで、同意も取れて、離婚協議書の下書きも作り、離婚届提出日も決めていたある日のこと。
私が目を覚まして「おはよう」と声をかけると、Xは一睡もしていない様子でした。
ただ黙って、怒りと憎しみに満ちた目で、私を睨み付けていました。
その表情に「ついに殴られるかもしれない」「やっぱり離婚しないと言い出すかもしれない」と恐怖を感じた私は、その日のうちに出ていくことを決めました。
もしもの時のため、友人に「緊急時に、空き家を貸してほしい」と話をつけてあったので、「今日、行ってもいいかな」と電話で頼みました。「もちろん。いつでもおいで」と電話越しに優しく言ってくれた声に、思わず泣いてしまいました。(この時は、親と絶縁状態&子どもから父親を物理的に引き離すことはしたくなかったため、車で5時間の距離の実家には帰れませんでした)
子ども達を保育園に送ってから、Xが仕事でいない時間に家に戻り、荷物をまとめて出ていく予定でした。
しかし、何か察したのか、Xは仕事を休んで私が戻るのを待ち構えていました。
震える足にぐっと力を入れながら、私は大きく息を吸って「私は、今日出ていく。もう耐えられない。行き先は後日ちゃんと伝えるから、しばらくそっとしておいてほしい」と言いました。
すると、Xは声を上げて泣き始めました。「ごめん・・」「お願いだから、行かないで」「俺は離婚したくない」と言いながら、オイオイ泣きました。
「もう遅い」と私は一蹴して、荷造りをはじめました。一瞬まとわりついてこようとしましたが、振り払うと、その後は床に突っ伏して泣いていました。
怒りと情けなさで、私も涙が止まりませんでした。あと数ヶ月早く「ごめん」と言われていれば、こんなことにならなかったかもしれない、と悲しくもなりました。
「子どもが会いたがるだろうから、いつでも会わせるし、電話もするよ。ただ、もう私が耐えられない」と伝えて、私は家を後にしました。
できればこのような修羅場は踏まずに離婚まで行きたかったのですが、そう上手くはいかないものですね。「もしもの時」が来てしまったので、念のため逃げる先を用意しておいて良かったと心から思いました。
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